ヒロシは今日も、団地の階段を下りる。
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目当ては、いつもの公園の自販機。
別に飲みたいわけじゃない。
用事があるのは硬貨返却口。
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ヒロシは腰をかがめて、
いつもの動作で、
自販機の返却口に指を差し込んだ。
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カチャリ。
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なにも出てこない。
あたりまえだ。
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でも、ヒロシはそれをやめられない。
帰り道に、もう1台の自販機。
また腰をかがめる。
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「取り忘れ、あるかもしれんやろ」
自分に言い訳のようにつぶやく。
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10円玉でもいい。
なにかあれば、それは「ついてる日」になる気がする。
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ときどき、ある。
100円玉がころりと出てくることが。
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ポケットの中の、小銭が1枚増えた感触。
それだけで、今日は良い日だと思える。
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団地の帰り道、
ヒロシはまた、電柱の横の小さな自販機に立ち寄る。
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指を差し込んで、
なにもなくてもそれはそれでちょっとホッとする。
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今日もちゃんと「なかった」。
釣り銭を取り忘れた人はいなかった。
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ヒロシは小さな声で言った。
「まあ、そんなもんや」
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風がひとつ吹いて、
ヒロシのフードが、わずかにめくれた。
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終わり