ヒロシ、あの暴力教師を見かける

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いつもと変わらない、団地前の坂道。
駅前まで歩いて、業務スーパーで安い豆腐を買おうと思ってた。
特に予定もない火曜日の午後。

ふと、向こうから歩いてくるひとりの老人に目がいった。

杖をついて、足取りはゆっくりで、
背中がくの字に曲がっていた。

(……誰かに似てんな)
ヒロシが立ち止まる。
豆腐のことはもう頭にない。

ゆっくり近づいてきたその顔。
間違いない。

小学校のとき、
掃除の時間にホウキをサボっただけでビンタされた。
漢字を忘れて泣いたら「泣くな!」と怒鳴られた。
あの、杉田先生だった。

今思えばあの頃定年間近だったのかもしれない。

ヒロシの心に、ガキの頃の自分が蘇る。
教室の隅で鼻水をすすってた小さな自分。
「教師ってのは全員怖いんや」と思ってた日々。

その杉田が、
今、青信号の横断歩道を渡ってる。
ゆっくり、ゆっくり。
誰にも気づかれずに。

(……爺さんやん)

ヒロシの口から、声にならない言葉が漏れた。
驚きというより、なにか喪失に近い気持ち。

杉田先生は、ヒロシに気づかずに通りすぎた。
向こうのベンチに腰かけて、
カバンから水筒を出してゆっくり飲んでいた。

ヒロシは道の影に立ち尽くしたまま、
その姿を見ていた。

怒りでも、許しでもない。
ただただ、
「時間って……そういうもんなんか」と思った。

手ぶらで、団地に帰った。
豆腐のことはもう忘れていた。

終わり