酒を飲まないのは最強の“チート行為”だった

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人生の楽しみを失っているのか

「酒は人生の潤滑油」
「酒を飲めないなんて、人生の楽しみを半分失っている」
「QOL(生活の質)が上がる」――

こういった言葉を聞いたことのある人は多いだろう。特に酒飲みの人間に囲まれていると、これらのフレーズは半ば常識のように使われる。
しかし、その実態をよく見てほしい。これらの言葉は、酒飲みたちによる酒飲みたちのための“自己保身”に過ぎないということに気づく。

酒を飲んでいる人はそんな自分に合理性を持たせるために、「酒には価値がある」「飲まない人こそ損している」と唱える。
それはまるで自分の選択が間違っていないと信じたいがために、同調圧力をかけて正当化しようとする、防衛的発言なのだ。

しかし私は声を大にして言いたい。

酒を飲まないというのは、人生において最強の“チート行為”である。

これは決して誇張ではない。
むしろ、この真実があまりに知られていないことのほうが問題だと思っている。

20年以上毎日飲み続けた

私は酒を飲んだことがある。飲んだことがあるというレベルではない。二十歳過ぎからどっぷりと酒の魅力にハマり毎日欠かさず飲み続けた。大好きだった。ちょっとしたきっかけで断酒して2年になるが今でも一口飲めば酒に絡め取られる自信がある。つまり酒の魅力に抗う自信がない。

それだけ酒を愛している私が「飲まない」事がチートであると言うのは多くの理由がある。


酒を「飲まない」という選択肢

酒を飲まないと言うと、まるで修行僧のように扱われることがある。
「人生、楽しくなさそう」「ストイックすぎて付き合いにくい」と言われることもある。

だが考えてみてほしい。
飲酒はもちろん義務ではない。ただの嗜好品だ。楽しみとして嗜むのは個人の自由だが、それを「飲まない」という選択肢にも、きちんとした価値がある。

むしろ「飲まない」ことで得られるものの方が、はるかに大きい。


酒をやめて得られる最大の報酬:時間

まず挙げたいのが「時間」だ。これが圧倒的にでかい。

たとえば、毎晩の晩酌に2時間を費やしている人がいるとしよう。
週に5日飲めば、1ヶ月で約40時間。年間に換算すれば、なんと約480時間だ。

この時間を他のことに費やすとしたら、何ができるだろうか?

・読書なら年間100冊以上読める
・筋トレなら1年で相当な身体が作れる
・語学でも1年あれば日常会話レベルに到達できる
・副業に充てれば月数万円の収入にもなる可能性がある

しかも、これは「飲んでいる時間」だけの話。
これに加えて、二日酔いのリカバリー時間がある。1回の飲み会の翌日を“死んだ日”と換算すれば、月に数日。年間で数十日が台無しになっていることになる。

つまり、「飲酒のせいで何もできなかった日」が大量に発生しているのだ。

酒を飲まないことで得られる自由時間の量は、ハンパじゃない。
この時間を持て余さず、少しでも自分の人生に投資できる人間は、明らかに「飲む人」とは別ルートの成長曲線を描き始める。

これはもう完全に人生のチートである。


飲まない人間の“相対的な優位性”

さらに興味深いのは、酒をやめたことによる「自分自身の上昇」だけでなく、周囲との“差”がついていくという点だ。

周囲が毎晩飲んだくれ、休日にグダグダしている間に、自分はすっきりした頭で思考し、蓄積し、行動していける。

つまり、周囲が“酔っているだけで”、飲まない自分の価値は自然と上がっていく。

もはや、周囲が飲み続けてくれることがありがたい。

彼らが「酒は人生の潤滑油だよね〜」なんて言いながら、気持ちよくアルコールに酔ってくれればくれるほど、こちら側の付加価値は勝手に上昇する。

「酔ってる奴=デバフ状態」
「飲まない奴=バフ状態」

この図式が定着していくと、もう酔っ払いを見かけたり相手にしてもイライラすることすらなくなる。
むしろ「ありがてぇ……」と感謝の気持ちすら湧いてくる。優しくおかわりのビールを注文してやりたくなる。

飲み会で顔を真っ赤にして同じ話を3回繰り返している人を見ると、こう思うのだ。

「この人、今夜もオレの価値を引き上げてくれてるな……」


酒をやめると、体・心・財布が全部回復する

酒を飲まない事によるチート効果は時間だけではない。
飲酒をやめると身体的・精神的・経済的なメリットがフルコンボで襲いかかってくる。

・体臭や口臭が減る
・睡眠の質が爆上がり(アルコールは睡眠の質を下げる)
・肌や内蔵のコンディションが整う(体質だと思っていた万年下痢が治った)
・イライラや気分の乱高下が減る(アルコールは感情の波を大きくする)
・お金が減らない(外飲み・家飲みのコストは積もると大きい)
・酔ってやらかして後悔することがなくなる(昔の彼女に酔って電話したことはないだろうか)

逆に言えば、酒を飲み続けることでこれらのメリットを「わざわざ」手放しているということでもある。


とはいえ、酒飲みを否定したいわけではない

ここまで散々「飲まないことのメリット」を挙げてきたが、勘違いしてほしくないのは、私は酒飲みを見下しているわけではないということ。

ただ、酒飲みたちが繰り出してくる「酒は人生の喜び」という主張が、あたかも絶対的な真理のように語られている現状に、少し風穴を開けたいだけなのだ。

楽しむために酒を選ぶのは、個人の自由。
でも、その選択をしていない人間が得ているものの価値にも、少しだけ目を向けてほしい。


最後に:今日もチートでいこう

酒を飲まないという選択は、自己投資でもあり、健康戦略でもあり、人生設計の一環でもある。

そしてなにより、目の前の時間と精神の自由を手に入れるための、最強のチートコードだ。

今日も酔っ払いが街にあふれている。
繁華街でゲロを吐いている人を見たとき、飲み会で説教を始める上司を見たとき――
私は思うのだ。

「ありがとう、あなたの酩酊が、私の人生を後押ししてくれる」