毎日楽しく呑んでいたら、死にたくなった あるいはサウナと水風呂で整う理由について【ドーパミン中毒】

依存症
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酒は旨い。飲酒は楽しい。アルコールは最高なのだが、酒を呑むと後日めちゃくちゃブルーになるという症状に苛まれて、不本意ながら断酒という情けない状況に追い込まれてしまった。

「飲酒でブルーになるなんて俺はショボい男だなあ」と凹んでいたがドーパミン中毒という本を読んだらそのような症状がわりと一般的なのだと知った。

書籍「ドーパミン中毒」の伝えたいこと

快楽と苦痛のシーソー

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ワタシが読んだのはこの本ドーパミン中毒だ。300ページほどの新書だが作者が伝えたい事は単純だ。簡単にまとめよう。

  1. 脳はドーパミンという神経伝達物質の放出で快楽を感じる。
  2. 脳は快楽と苦痛を同じシーソーで処理しており、快楽側に傾いたシーソーはやがて苦痛側へ傾く。
  3. 苦痛に晒されたシーソーはやがて快楽側に傾く。

この3つである。とてもシンプルだ。

水風呂で整う理由

特に3に挙げた「苦痛に晒されたシーソーはやがて快楽側に傾く」という現象は面白い。先に苦痛を味わった脳はやがて快楽を感じるのだという。サウナと水風呂に交互に入って「整った」というのはまさにこの状態である。水風呂で苦痛側に傾いた脳のシーソーがやがて反対の快楽側に傾いて「整った」状態を作り出しているのだ。

酒を呑まざる理由となった

酒が大好きなのだが、呑むと後から精神の調子が悪くなると感じていた。この本「ドーパミン中毒」を読んで調子が悪くなる理由がはっきりとわかった。

「呑むべきか呑まざるべきかそれが問題だ」とウジウジ悩んでいたのだが、「もう呑まなくても良いな」と酒を諦める心境に達した。これらの事について話したい。

アルコールでストレス緩和?

飲酒は楽しい

アルコール販売大手であるサントリーのウェブページには飲酒のメリットが載っている。引用する。

ほどよい飲酒には効用あり。知っておきたいメリット

  • 食欲増進 お酒を飲むと胃液の分泌がさかんになり、消化を助けるため、食欲が増します。
  • ストレスの緩和 ほろ酔い程度の飲酒は、精神的な緊張をほぐして、ストレスの軽減につながります。
  • 血行促進 アルコールには血行をよくする働きがあります。
  • 人間関係を円滑に おいしい食事とお酒は、人との円滑なコミュニケーションに役立ちます。冠婚葬祭、歓迎会、送別会などの特別な場面でお酒はかかせないものです。
サントリー

サントリーによると飲酒はストレスの緩和になるそうだ。

酒好きのワタシはその通りだと思っていた。現代社会の厳しいストレスに晒されている自分のせめてもの慰みが酒なんだと。

酒が好きだ。20年以上呑んできた。呑めば楽しい。飲酒は確実にストレスが発散されている感じがする。週末など「今夜は酒を呑もう」そう思っただけで昼間の仕事も捗るような気がしていた。

帰宅して酒を呑むとストレスが吹っ飛ぶ。というか単純に楽しい。ハッピーな気分だ。酒を飲みながら「人生って素晴らしいなあ。というか酒は素晴らしいなあ。生まれてきてよかったなあ」と感じていた。

作家吉川英治はその作品「親鸞」の中で「楽しまずして何の人生ぞや」という名言を残している。

ワタシは酒を呑みながら「呑まずして何の人生ぞや」という名言を呟いて10万リツイートの快挙を達成した(大嘘)。

飲酒はドーパミン分泌を促す

先程の1番を思い出してほしい。「脳はドーパミンという神経伝達物質の放出で快楽を感じる。」というやつだ。飲酒はドーパミンの分泌を促す。酒を飲むことでドーパミンが分泌されて脳が快感を感じて私はハッピーになっているのだ。

毎日呑んで毎日ハッピー

20代30代の頃は毎日酒を呑んでいた。毎晩ハッピーでごきげんな夜を過ごしてきたのである。

一番調子にノッていたときは角瓶のでかいペットボトルを購入して、それを毎日ハイボールにして、レーズンをツマミに呑んでいた。自分で割るハイボールは良い。濃度が自由自在である。段々と濃くなってしまうというのは自明の理なのだが。

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調子にノッて毎日飲んでいるとワタシの身体に変化が訪れた。少年時代は洗濯板と言われていたのだが、醜い脂肪が堆積していった。暴飲暴食から来る中年太りである。

20代から20年間毎日欠かさず呑んでいた。幼稚園児の我が子が肺炎で入院した際に付き添い宿泊をした。その時も酒を病室に持ち込んで晩酌をした。病に苦しむ我が子の横で呑む酒もそれはそれで旨かった。20年間シラフの夜は無かった。

減酒でダイエットに成功

40代に入った頃にダイエットを決意した。醜い自分の身体に嫌気が差したのだ。ダイエットを決意したがこのときはまだ断酒は決意しなかった。毎日飲んでいた酒を、平日は我慢をして休みの日だけ呑むこととした。減酒である。

減酒と同時に運動も取り入れることでダイエットは成功した。体重はピークからマイナス15kgとなった。大成功と言って良い結果である。

体重が落ちた後は週3回だけ酒を呑むことにした。金・土・日の3回だけだ。一週間は7日で、そのうちの3回呑むのだからだけという程のことはないのだが。毎日飲酒生活を週3回飲酒生活に改めたのだ。

ワタシの仕事は基本的に土日祝が休みだ。だから週末と日曜日だけ呑むと事にしたのだ。わかりやすくて規則正しい。

シラフの日を作るとブルーになる

毎日飲酒生活から週3回飲酒生活に切り替えると問題が発生した。

金・土・日は以前と変わらずハッピーな晩酌ライフなのだが、月曜日から木曜日の週4回はシラフで夕食を食べ、シラフで床につくのである。

ここで困ったことが起きた。シラフ2日目の火曜日にブルーになってしまうのだ。

火曜日は朝から自己嫌悪感を覚える。俺は仕事をしていて良いのだろうか。会社から、いや社会から必要とされていないんじゃないだろうかという感覚だ。そして厭世感もあった。すべてがどうでも良くなるのだ。ブルーと一言で言ってもなかなかにキツイものがあった。

水曜日になるとそういうブルー感が火曜日よりは収まってくる。木曜日にはブルー感はほとんどなくなって平常運転という状態になる。そして金曜日には「今夜は呑むぞお」とハッピーな気分になっている。

そして金土日の3日間呑んだら、休み明けの火曜日にはまたブルーになるというのを繰り返していた。

毎日飲んでいたときにはこのようにブルーになることは無かったように思う。毎日飲んでいるからブルーになる暇が無かったのだろう。シラフの日を作った事によって発生してしまった問題だ。

相変わらず酒は大好きなのだが、火曜日のブルーな感覚がキツかったのでしばらく悩んだ。ブルーになる原因は飲酒なんだろうという想像はついていた。

実験もしてみた。例えば金曜日だけ呑んで土曜に呑まないという実験だ。すると日曜にはブルーになっていた。とにかく酒を呑んでその翌日呑まないと3日目にブルーになるということだ。

ここまで飲まない日を作るとか、飲まない実験をしたとかを簡単な事のように書いているが、一度出来上がった飲酒習慣を控えるというのは簡単なことではなかった。減酒には減酒の苦痛があったのだがこの記事では割愛する。

シーソーが苦痛側に傾く

数日後にブルーになる

なぜハッピーなはずの飲酒が数日後にブルーな気分を引き起こしてしまうのか。

幸福を感じたくて呑んでいるだけなのであって、その後に苦痛が来ると言うのは聞いていない。私がおかしいのだろうか。

どうやら私だけの症状ではないらしい。飲酒の数日後にブルーになる理由が「ドーパミン中毒」で説明されていた。先に説明した3番の「脳は快楽と苦痛を同じシーソーで処理しており、快楽側に傾いたシーソーはやがて苦痛側へ傾く」というものだ。ドーパミン中毒から引用する。

 私たちの脳内にシーソーがあると想像してみよう。支点のある秤である。何もその上に載っていない時は、地面と平行になっている。私たちが快感を感じると報酬回路にドーパミンが放出され、シーソーは快楽の側へ傾く。シーソーが傾けば傾くほど、また早く傾けば傾くほど私たちは強い快感を感じる。
 しかしこのシーソーについては重要な事実がある。シーソーはなるべく水平を保とうとする。長い間どちらか一方に傾いていることを望まないのだ。快楽の側へ傾く度に、強力な自己調整メカニズムが働いて水平へと引き戻そうとする。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 76ページ

快楽側にシーソーが傾くと私たちは快感を感じる。ところが快感がずーっと続くわけではない。快楽側に傾いたシーソーに水平に戻そうとする力が加わる。

水平を通り越して苦痛側に傾いてしまう

恐ろしいのはその後だ。水平に戻るだけでは済ませてくれないのだ。

 一度シーソーが水平になると、そのままシーソーは動き続けて快楽の時と同じ分だけ苦痛の側へ偏る。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 77ページ

快楽側から水平に戻ったシーソーは、水平状態で止まらずにそのまま苦痛の側に傾いてしまうというのだ。快楽のときと同じ分だけ苦痛の側に傾いてしまう。

ワタシが飲酒後にブルーな気分になってしまうのはこれが原因だったのだ。快楽を覚えるだけでは済ませてくれない。快楽の分だけ苦痛も味わわなければならない。

毎日飲酒していると、苦痛の方にシーソーが戻る前に酒を呑むことで、もう一度シーソーを快楽の側に傾けていた。だから毎日呑んでいたときにはブルーな気分になることが無かったのだろう。

だったら「一週間のうち3日間だけ呑む」「4日間は我慢する」なんてことは止めて、以前のように毎日呑んで毎日ハッピー生活に戻れば、体重のことはさておいてブルーになることはなくなるのではないか。

同じ量では快楽を感じられなくなる

そうもいかないようだ。毎日ハッピーを感じようとすると、だんだんと必要な酒の量が増えてしまう。ドーパミン中毒から引用する。

 私たちは皆快楽を味わうと、その残像として「渇望」を感じることになる。2枚目のポテトチップスに手を伸ばすことであれ、ゲームをもう一回やってしまうことであれ、喜びの感覚をもう一度と欲したり、その“いい気持ち”が消えないようにと試みたりすることは自然なことだ。簡単な解決法としては食べ続ける、やり続ける、見続ける、読み続ける、ということになる。しかし、そこには問題がある。
 似たような快楽刺激に繰り返し晒されていると、快楽の側へのシーソーの最初の傾きが弱く、短くなる一方で、事後反応の苦痛の側への偏りは強く、長くなってしまうのだ。科学者が「神経適応」と呼ぶ過程である。繰り返しによりグレムリンは大きく、早く、多数になるので、前と同じ効果を得るのにより多くのドラッグが必要になるのだ。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 78ページ

毎日酒を呑んでいると、酒のハッピーにしてくれる力が弱くなっていくのだ。同じ量を呑んでも酔えなくなる、楽しめなくなるということだ。昔に比べて酒量が増えてしまうのは酒に強くなったのではなく、快楽を感じる力が弱くなってしまっているのだ。

日を追うごと、年を追うごとに呑む量を増やさなければ、感じる快楽はどんどん弱くなってしまう。毎日以前と同じように酔っ払っていい気分になろうとすれば、酒の量を増やさなければならないということだ。

酒の量を増やし続けなければならないというのは身体の負担も財布の負担も増えるということだ。ダイエットなど望むべくもないだろう。

感じる苦痛は増え続ける

しかも恐ろしいことに、快楽を感じる力が弱くなる一方で、シーソーが苦痛の側に傾く力は強く長くなってしまう。ワタシは年を追うごとに、飲酒の数日後にブルーになる度合いが強くなっていると感じていた。これは気のせいではなく、我々の心身がそのようにできているということなのだ。

楽しむために呑んだ酒であまりいい気分にはなれずに、酒の量は増え続けて、それに加えて跳ね返ってくる苦痛だけは早く大きくなってしまう。これでは苦痛を感じるために酒を呑んでいるようなものだ。

ワタシが感じていた飲酒後の不快感は大きかった。希死念慮のようなものも感じていた。自分が存在すること自体に苦痛を覚えるのだ。これが酒のせいだった。ワタシはこの経験から、酒で増える苦痛が鬱や自死の大きい原因になると考えている。

令和4年5月にダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自ら命を絶ってしまった。上島竜兵さんの自死の原因は明らかになっていない。そもそも自死の理由は一つではないだろう。ただ上島竜兵さんが酒好きだったというのは有名な話だ。ワタシはアルコールを摂取した後の苦痛が彼の自死の理由の一つになった可能性が大きいと思っている。

アルコールを断つと鬱が治った

アルコールは必須の栄養素ではない。アルコールを一滴も呑まなくても健康を害することはない。では何のためにアルコールを呑むかというと、「気分良くなりたい」というのが大きな理由の一つだ。ところがそのアルコールが鬱の原因になる場合がある。

そしてその鬱はアルコールを断つことで回復することが多いことがわかっている。つまり楽しくなろうと思って酒を呑んだら逆に鬱になってしまい、酒を絶ったら元気を回復すると言うことなのだ。ドーパミン中毒から引用する。

 (サンディエゴ州立大学の実験心理学教授の)シュキットの研究に参加した男性うつ病患者たちは4週間病院に入った。その間、うつ病の治療は一切受けず、断酒だけをした。全く飲酒せずに1ヶ月が経ったとき、80%の人はもう、うつ病の診断には適合しなくなっていた。
 この発見は次のことを意味する。彼らの多くにとってうつ病は、大量飲酒の結果であり、飲酒とは別にうつ病があるわけではなかった。もちろん違う説明もできる。多くの人のうつ病が治ったのは病院でよい治療に出会えたからだとか、自然治癒したからだとか、うつ病は外的要因に関係なくアップダウンする病だからだとか。しかし標準的な治療、すなわち薬を使ったり心理療法を受けたりという治療で、うつ病がよくなる人は、大体50%であることを考えると、80%という結果は注目に値する。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 106ページ

アルコールを呑んだから鬱病になり、アルコールを止めたら回復する、つまりアルコールが鬱病の原因そのものだという研究だ。

苦痛の後に快楽が来る

シーソーが苦痛から快楽に傾く

快楽と苦痛のシーソーは逆の動きもする。これが面白い。先述した3番の「苦痛に晒されたシーソーはやがて快楽側に傾く。」というものだ。

私たちは苦痛を受けるとシーソーが苦痛の側に傾く。シーソーは水平状態に戻ろうとする。苦痛の側から水平状態に戻ったシーソーはそのまま快楽の側に傾くというのだ。

シーソーが快楽の側に傾くことで私たちはドーパミンを得て快楽を感じられる。例えばサウナの後に水風呂に入る。水風呂は冷たい。身体は苦痛を感じる。ところがその後我々の脳内ではドーパミンが分泌されて快楽を感じるのだ。しかもこの快楽は間接的でより持続的だとされている。サウナと水風呂で「整った」というのがこの状態だ。

氷風呂の快感で薬物中毒から回復する

ドーパミン中毒から引用する。

 (マイケル)「毎朝5分から10分氷水に浸かり、もう一回夜寝る前も同じようにするというのが習慣になりました。それから3年間毎日やっていました。それが僕の回復の鍵でした」
 「どんな感じがするんですか?」と私は尋ねた。「冷水に浸かるというのは」。私は冷たい水が嫌いで、そんな温度には2、3秒でも耐えられそうもなかった。
「最初の5~10秒は体が叫んでいます。『やめろ!! 殺す気か!』と。それくらい辛いです。」
「そうでしょうね」
「だけど自分に言い聞かせるんですよ。これは限られた時間だけだ。これをやる価値はあるんだって。最初のショックが過ぎると皮膚が無感覚になっています。氷風呂をでるとすぐにハイになるんです。まさに薬物と同じですよ。エクスタシーとか娯楽のためのバイコディンと似たような感じがします。本当にすごい。何時間もいい気持ちでいられるんです。」

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 190ページ

 マイケルはたまたま氷水に浸かる効果を発見したが、これはシーソーの苦痛の側に力をかけることでその反対――快楽の側に行くことになる一例である。快楽の側に力をかけるのとは違い、苦痛から得られるドーパミンは間接的で、より持続的である可能性がある。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 194ページ

 断続的に苦痛に晒されることによって、私たちの快楽と苦痛のシーソーが快楽の側に偏り、時間と共に苦痛を感じにくく、快楽を感じやすくさせるのである。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 195ページ

薬物中毒だったマイケルは氷風呂で薬物中毒を克服した。氷水に浸かり苦痛を感じることでその後にハイになり、その感覚が何時間も続くと言っている。

運動の苦痛が快楽になる

苦痛の後で快楽が来るという例は他にもある。ランニングもその一つだ。ドーパミン中毒から引用する。

 運動は気分をポジティブにする多くの神経伝達物質、すなわちドーパミン、セロトニン、ノルエピネフリン、エピネフリン、エンドカンナビノイド、内因性のオピオイドペプチド(エンドルフィン)などを増加させる。運動は神経細胞と神経細胞を支えるグリア細胞を新生させる。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 202ページ

運動することで、多くの脳内麻薬が放出されるとある。これはワタシも実感がある。疑う人は試しに5kmほど走ってみれば良い。息が上がるくらいのスピードで走ってみてほしい。走っている間は苦しい。ランニング雑誌の表紙にはモデルが笑顔で走っている写真が見られるがあれはだ。笑いながら走る人は居ない。走っている間は快楽は感じない。

快楽は走り終えた後でじわじわとやってくる。軽い疲労感と共になんとも言えない充実感や爽快感といったものが感じられる。早朝に走るとその日一日穏やかな快楽を感じることができるだろう。

ランニングが飲酒の代わりになる

また運動は、薬物を使用し依存する可能性を減らしさえする。

アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子約 『ドーパミン中毒』(新潮文庫、2022年)3刷 202ページ

運動が薬物の代わりになるというのもワタシは実感がある。

先述した通りワタシはダイエットの一環でアルコールを減らしたので、アルコールを減らし始めた時期にランニングに取り組んでいた。じっと酒を我慢するのもつらくて憂さ晴らしに走っていたというのもある。

飲酒を我慢するというのは大変なストレスだったが、ランニングをするとそのストレスが和らぐ感覚があった。呑めない憂さを走ることで晴らすのだ。走ると呑みたい気持ちが薄まる。今減酒や断酒を考えている人は是非ランニングを試してほしい。

「ドーパミン中毒」で視界がクリアになる

「なぜ酒を呑んだ後で辛くなるのだろうか?アルコール向きの体質ではないのだろうか?それとも鬱病になりかけているのだろうか?とりあえず呑みながら考えようか?」などと柄にもなくクヨクヨ考えていた。

ドーパミン中毒を読んで、飲酒とその後の辛さの関係がクリアになった。飲酒が原因だとはっきり認識できたので一生の断酒を決断することが出来た。

またランニングにもぼんやりとした効能を感じていた。走ったあとは身体は疲れるのだが、心が軽い興奮状態になって、その軽い興奮が長時間続くのだ。これもこの本を読むことでランニングによる効能だということをはっきりと確認できた。

アルコールのCMは華やかだ。幸せな食卓が演出されたり、にぎやかな酒席が映されたりする。CM中に「お酒は適量を」などという注意書きが挿入されるが、決してアルコールの負の側面を映し出す事はない。しかしアルコールはCMで見るほど気軽に付き合えるものではないと感じている。

アルコールが精神に及ぼす影響にも個人差は大きくある。毎日浴びるほど呑んで、毎日ごきげんに過ごしている人もいる。そういう人は飽きるか肝臓を壊すまで存分に呑んでほしい。

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もしワタシと同じように飲酒後のうつ症状を感じている人はぜひこのドーパミン中毒を読んでほしい。アルコールの精神への影響、その原因と結果がクリアになればアルコールとの付き合い方も変わることだろう。

インテリは読書で禁酒する

インテリは読書で禁酒できる。毎日浴びるほど呑んでいても、インテリならドーパミン中毒を読むだけで酒を止められるかもしれない。インテリは理性で欲求に打ち勝つことができる。

酒を止めるには忍耐が必要だ。酒だけではない。依存性のあるもの、例えばタバコ・ギャンブル・甘いもの・スマホゲームなどなど、これらを止めるにはある程度の長時間それらから距離を取る必要がある。

酒から距離を取るということは、飲まないということなのだが、毎日呑んでいた人にはこれがつらい。夕方になると呑みたくなる。居酒屋の看板を見ると呑みたくなる。スルメを見ると呑みたくなる。焼肉の匂いを嗅ぐと呑みたくなる。誘惑だらけである。体がアルコールを欲するようになってしまっている。

これに対抗できるのは人間の理性だけだ。欲しい物を我慢するというのは動物には真似できないことだ。理性は人間の人間たる所以と言えるだろう。

ところがこの理性は非常に脆弱だ。弱っちいのだ。マグロの刺身を見ただけで冷酒が呑みたくなる。一度呑みたくなったら他のことが考えられなくなる。理性は頼りない。

理性を鍛える方法が無いことはない。情報を接種して人間の仕組みを理解することだ。つまり自分が酒を呑みたくなる理由を客観的に冷静に観察するのだ。第3者の視点から酒を欲する自分を観察して、「なるほどね、こういう仕組みで呑みたくなっているのね、でも我慢しようね」と欲求を抑えるのだ。

酒を呑みたくなる仕組みを理解する上で情報源となるのが書籍だ。幸運にもアルコールや依存症にまつわる書籍が数多くある。多くは自身のアルコール依存の経験を本にしたものだ。

これらを書いているのはインテリと呼ばれる種類の人達が多い。インテリでもアルコール依存になってしまう。それほどアルコールの魅力は強い。しかしインテリと呼ばれる人たちはやはり理性の力も強い。理性の力でアルコール依存を克服している。克服できていないインテリも居るが。

あなたがもしインテリならこれらの書籍を読むことで酒を止める事ができるかもしれない。これらの書籍を読んで酒を止められればあなたはインテリだ。

何冊か紹介する。

吾妻ひでお 失踪日記・失踪日記2 アル中病棟

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2019年に逝去した漫画家の吾妻ひでおが、自身のアルコール依存症やホームレス生活経験、アルコール依存症での入院経験などを漫画にしている。野宿や自殺未遂などの悲惨な経験が明るいタッチで描かれている。吾妻ひでおは退院後は亡くなるまで酒を絶っている。

中島らも 今夜、すべてのバーで

コピーライター、小説家、ミュージシャンの中島らもの小説だ。中島らもはアルコール依存症からくるアルコール性肝炎で1988年に病院に50日間入院した。この体験をもとに書かれた小説である。小説内では断酒を誓う描写がされるが、中島らもはその後飲酒習慣を復活させ、2004年に飲み屋の階段から転落してなくなってしまった。

You Tubeを検索すれば生前の中島らもがTV出演している動画を見ることができる。タモリ倶楽部では収録中にウイスキーの瓶をあおりタモリを感心させていた。ゆっくりとした独特の喋り方はアルコールの影響もあると思われる。

小田嶋隆 上を向いてアルコール

コラムニストの小田嶋隆の告白本だ。小田嶋隆はアル中と診断を受けてから断酒を行い、そこからこの本を書くまでに20年かかった。当時の嫌な気分が張り付いて書けなかったそうだ。ワタシが「インテリは本を読むことで断酒できる」と言っているのは小田嶋隆の本の受け売りだ。小田嶋隆は2022年に亡くなっている。

町田康 しらふで生きる 大酒飲みの決断

パンクロッカーで芥川賞作家である町田康の断酒体験記だ。表紙カバーを捲った袖に記載された本文の引用文からすでに面白い。引用する。

 最初の三か月目くらいまでは、自分は禁酒しているのだ、自分は酒を断った人間だ。自分は酒を飲まないということが強く意識せられ、自分の人生にもはや楽しみはない。ただ索漠とした時間と空間が無意味に広がっているばかりだ、という思いに圧迫されて、アップアップしていた。
 そして、反射的に、「こんなにも苦しい思いを和らげるためには酒を飲むしかない」と思い、「あ、そうだ、俺はその酒を止めているのだ」と思い出して絶望するということを七秒に四回宛繰り返していた。

町田康著 しらふで生きる 大酒飲みの決断 幻冬舎

先に挙げた吾妻ひでお、中島らも、小田嶋隆は鬼籍に入っているが、町田康はこのエントリー執筆時には存命だ。Wikipediaの情報によると2015年12月から断酒している。