ヒロシと靴下の穴

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「明日、電化製品の搬入バイトあるけど来る?」
派遣会社の男に言われて、ヒロシは「行きます」と答えた。
とくに断る理由もなかった。

朝、団地の部屋で靴下を履く。
黒い靴下。

右の親指のとこに、小さな穴。
見なかったふりをして、指の間に穴を押し込んだ。

現場は、新築のマンション。
冷蔵庫や洗濯機を階段で運ぶ仕事だった。

途中で、靴を脱いで上がる現場が出てきた。
「靴を脱げたら良しって言ってね」
先輩が軽く言った。

ヒロシは、反射的に足を引っ込めた。
だが遅かった。

「お前……指、見えてんぞ」
先輩が笑った。
ヒロシは黙ってうつむいた。

するとその先輩が、作業ズボンのポケットから黒の油性ペンを取り出した。
「いいから、足貸せ。動くなよ」
先輩はしゃがんで、
ヒロシの親指の露出したところに、真顔でペンを走らせた。

すーっ
すーっ

「はい、完成。ペンで塗ったら穴が見えんやろ」

ヒロシは、なんて言っていいかわからなかった。
ありがとうと言うのも違う気がする。

現場が終わるまで、ヒロシは妙に指先を気にしていた。
けれど、どこかでちょっと安心していた。

バイト代は少なかった。
でも、帰り道に100円ショップで、黒い靴下を買った。

団地に戻って、買ったばかりの靴下を並べて見ながら、
ヒロシは足の親指を見た。

穴の空いていたところにペンで塗った跡が黒ぐろと残っていた。

ヒロシは静かに笑って言った。
「……もうちょい、ていねいに塗ってくれてもよかったのにな」

終わり