年賀状の喪中欠礼システムは本当にクソ

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個人的に年賀状の事を好きなのだが滅びるのは仕方がないと思っている。年賀状をやり取りする際に求められる仕組みやルールやマナーがややこしすぎる。年末になり年賀状のことを考えると憂鬱になる。年賀状はその形式的なルールが年賀状文化そのものを衰退に押しやってしまうと考えている。

年賀状のルール・マナー

年賀状にはマナーが存在する。もちろん何事にもマナーが存在する。年賀状にも色々マナーがあるんだろうなとほんのり想像していたが、今までわざわざ「年賀状 マナー」などと検索したことはなかった。面倒くさいからだ。

しかし今回重い腰を上げて検索してみた。ソースネクストの「知っておきたい年賀状の書き方・マナー」のページと、ふみいろ年賀状の「年賀状のマナー&タブー」というサイトを見た。

使える言葉が相手によって異なるという衝撃

送る相手が目上か、目下か、親しいのかなどに応じて使えるお祝いの言葉=賀詞が違うそうだ。そんなの義務教育で習っていないぞ。

お祝いの言葉の賀詞は、種類によって送る相手や意味が異なります。 ここでは、賀詞の種類と送る相手について紹介します。

ソースネクスト

「謹賀新年」のような4文字の賀詞は目上の人向けで「寿」「賀正」のような1文字2文字の賀詞は目下の相手向けらしい。嘘やろ。今まで先輩に送る年賀状でも「賀正」とかガンガン入れていました。ワタシは非常識人認定されている可能性がある。

相手を選ばずに使えるのは文章の賀詞で「謹んで新春のお慶びを申し上げます」とからしい。やだもうこれしか使えない。

“去年”はだめらしい

「去」という漢字はお祝いにふさわしくないので、年賀状では使いません。昨年や旧年を使うようにしましょう。また、「枯れる」「衰える」「破れる」「失う」「倒れる」「滅びる」、などの単語も同様に使わないようにします。

ソースネクスト

“去”という字は年賀状では使ってはだめとある。お祝いにふさわしくないという理由だ。「去年」はだめなのだ。たしかに「旧年中は」というのをよく見るけど、これはただ単に気取って「旧年」を使っているだけだと思っていた。ワタシは気取るのは嫌いなのでなにも考えずに「去年」を使っている気がする。

忌み言葉が意外に多い

ふみいろ年賀状

【忌み言葉】
去年、終わる、衰える、切れる、落ちる、離れる、病む、消える、枯れる、苦しむ、壊れる、崩れる、倒れる、失う、滅びる
など

ふみいろ年賀状

“去”が使えないと書いたが、そもそも「忌み言葉」を避ける必要がある。結婚式では分かれるとか割れるとか言っちゃだめというのと同じだろう。「去年は苦しい一年で気持ちが萎えました」とか書かないほうが良いのだ。ワタシはマイナス思考なので書いた覚えがありすぎる。

句読点を使えないという新事実

年賀状の挨拶文には「、」や「。」などの句読点を使わない。

まじでそういうのは中学校までに授業で教えてほしかった。ワタシは句読点大好きおじさんなので100%使っている。

重複言葉を毎年使っていたんだが

言葉の重複は普段から避けたいところだが、年賀状だと起こりやすいようだ。

「1月1日元旦」が賀詞の重複になるとは衝撃だ。「元旦」は元日=1月1日の朝の事を指す体そうだ。つまり「1月1日元旦」を訳すと、「1月1日1月1日朝」という事になる。なるほど。

また「新年あけましておめでとうございます」も「新年」と「あけまして」が重複になるそうだ。

こんなん毎年書いてしまっている。年賀状の言葉選びが難しすぎる。

出す相手の見極めが難しすぎる

年賀状は出す相手の選別決定が難しすぎる。難しくなる大きな原因の一つはいわゆる「喪中欠礼」である。

毎年同じ住所録リストに何も考えずに差し出して良いのなら、出す相手の見極めに悩むことは無い。自分が出したいと思った相手だけに出せば良いのだ。実際小学生の頃などはそんな感じだった。ところが「喪中欠礼」が絡むと難易度が一気に上がる。

喪中欠礼を考えたヤツは馬鹿

喪中・年賀欠礼状(喪中はがき)とは
喪中・年賀欠礼状(喪中はがき)は、1年以内に近親者に不幸があったときに、年賀状の交換を辞退する旨を伝える書状です。
一般に、忌明けまでの期間(仏式で49日または35日、神式で50日)を忌中、死後の一年間を喪中としています。喪中の家では祝い事を慎み、正月行事も行いません。年賀状の送付も慎む習慣があります。
服喪中の人は、年賀状を頂きそうな相手にその旨を知らせるために、先方が年賀状の準備をする前に喪中はがきを送ります。

年賀状・暑中見舞いドットコム

喪中はがきの投函時期
喪中・年賀欠礼状(喪中はがき)は、年賀状の交換ができない旨を伝えるものです。
相手が年賀状を用意する11月中頃から12月初めに届けます。

年賀状・暑中見舞いドットコム

11月になると「喪中のため年末年始のご挨拶はしつれいさせていただきます」というハガキが届くようになる。年賀欠礼・喪中欠礼である。説明するまでも無いが、年賀欠礼とは「今年は年賀状を送らないしお前も送ってくるなよ」という通知である。一般的に身内に不幸があった年を喪中としてその年は祝い事を慎むしきたりになっている。年賀状のやり取りも祝い事に入るのだ。

歳を取ると喪中確率が上がりすぎる

喪中はがきを送ってきた人には年賀状を送ってはならないため、その人を送り先リストから外す必要がある。住所リストから完全に消すのではなく、その年だけ送らないようにしなくてはならないのだ。来年になったらまたリストに復帰させなくてはならない。この一連の作業が死ぬほどダルい。

子供の頃は喪中はがきなど受け取った記憶が無いが(母親が処理してくれていた可能性がある)、オッサンになると目に見えて喪中はがきが増えた。ワタシの親も後期高齢者である。ワタシの同年代の周りで亡くなる人が増えているということかも知れない。毎年のように喪中はがきを送って来る人も居る。その人にはもう何年も年賀状を送れていない。

去年送ったリストを出力する。喪中はがきを送ってきた人には赤ペンで「も」と注意書きをしていく、そのリストを元にはがき印刷リストを編集し直すという作業が毎年発生する。死ぬほどダルい。

返事の全く無い相手への対処に困る

何年も会っていないが年賀状だけでやり取りしているという相手がいる。そういう相手は良い。今年も何も考えずに出せば良い。おそらく向こうからも届く。

こちらから年賀状を出して、向こうから年賀状は来ないが電話やLINEで「年賀状ありがとう」と伝えてくる相手も良い。こちらは年賀状を貰いたくて送っているわけでは無いので、電話やLINEをもらえるだけでもありがたい。こういう相手にも毎年送れば良い。

悩むのが、何年も会っていなくて、以前は向こうからも年賀状を送ってきていたような気がするが、いつの間にか年賀状を辞めたらしくこちらから一方的に送っているだけの相手だ。

このようにこちらからの一方通行になっている場合はどうするべきか悩む。もう年賀状を送るのも貰うのも嫌になったのかも知れないし、単純にワタシが嫌われているのかも知れない。

そういう相手はリストから消していくべきなのかも知れないが、友達の少ないワタシは送る相手を簡単に切っていくと、すぐに送る相手がいなくなってしまう気がする。

妻の強さは異常

妻は強い。一年でも返信のなかった相手はバサバサ切っている。それどころかこちらからの年賀状が届いたのを見てから返信してきた相手も翌年は差し出しを保留している。

年賀状からフェードアウトしていくために、自分からは年賀状を出さずに、年賀状を送ってきた相手にだけ返信の年賀状を出している人が一定数居るようだ。待ち受け返信専用といった運用方法である。

妻はそういう相手は年賀状を辞めたがっていると判断して、翌年からはこちらから送るのを控える。そこで相手からも来なければ年賀状交換断絶という事になる。潔い。

喪中欠礼システムはクソ

12月になって、去年送った宛先リストを印刷して、そこに喪中の相手をチェックしていく。これが本当に面倒くさくて苦痛だ。年賀状の喪中欠礼システムはクソだと思う。歳をとれば自分や年賀状の相手人の周りで亡くなる人間も増えて、年末に喪中はがきが飛び交うことになる。

到着した味気ない喪中はがきを整理しながら年賀状を送らない相手をチェックする作業というのは全く楽しくない。かと言ってそういう相手に年賀状を出せばこちらが馬鹿だと思われる可能性がある。年賀状をやり取りする人が毎年減っていると言われている。SNSの発達が原因と言われることが多いがワタシは「喪中欠礼システムがダルすぎる」というのも大きな原因の一つだと思っている。

郵便局がテレビでもなんでも使って「年賀状は特別なので喪中でもやり取りしましょう」という方向に世の中の風習を持っていったほうが良かった。

はがきデザインキット縮小の衝撃

インプレス似た本出しすぎ

ワタシは年賀状の住所録管理に郵便局の「はがきデザインキット」という無料ソフトを利用していた。住所録をクラウド管理できるソフトだ。なかなか使い勝手が良かった。年賀状を出せば郵便局の売上になるのだから無料と言うのもうなずける。

ところがどっこい「はがきデザインキット」での住所印刷が2020年度版で修了してしまった。はがきデザインキットの機能を縮小して通信面の印刷しかできなくなってしまったのだ。郵便局よ、なんてことをしてくれるんだ。なんてこったパンナコッタ。

ワードの差し込み印刷が極悪

その後郵便局のクラウドからエクスポートした住所録をエクセル管理してワードで印刷していた。ワードの差し込み印刷と言うやつなのだがこれが死ぬほど面倒くさいし融通が利かない。おそらくワタシのワード知識が足りていないのだと思う。

餅は餅屋

調べているとハガキの住所印刷は「筆まめ」や「筆ぐるめ」などというソフトがある。

ソースネクスト 筆まめVer.34

「筆まめ」単品では5,000円程もするソフトである。筆まめには住所管理機能の他にもはがきデザイン機能も搭載されている。この筆まめの住所管理機能だけを使う方法がある。書店の年賀状ムック本である。

これには「筆まめ」の機能制限版である「筆まめベーシック」というものがついてくるものがある。こちらは500円ほどで買える。

筆まめベーシックに住所録をインポートしたところ難なく印刷までできた。ワード差し込み印刷より100倍簡単である。さすが専用ソフト。パソコンの大先生を自負していたワタシはこういうソフトは情弱専用だと馬鹿にしていたのだが考えを改めた。餅は餅屋だと実感した。

インプレスのドミナント戦略エグい

年末に書店に行くとそういう「はやわざ筆まめ年賀状」のような年賀状ソフトDVD付きの500円位のムック本が大量に平積みされていてビビる。あれを見ると年賀状を作る時期がやってきたのだと心が暗くなる。

あの本をよく見るともっとビビる事実があるのだが、実はあの膨大な種類の年賀状本のうちの殆どは「インプレス」という会社が販売している。なぜなのかは把握していない。年賀状本の売り場をインプレスで占領するため、つまり書店の棚におけるドミナント戦略かもしれない。

インプレス

子供の頃の年賀状は楽しかった

プリントゴッコの楽しさは異常

子供の頃の年賀状は年末年始の楽しみの一つだった。まず作るのが楽しかった。特にプリントゴッコで年賀状を作るのが楽しかったという記憶が強い。ワタシの実家は貧乏かつ親がケチだったのでファミコンを買ってもらえなかったのだが、プリントゴッコは買ってくれた。

「教育」っぽいものには多少金を出してくれる親だった。プリントゴッコは「理想科学工業株式会社」というメーカーが出していた。社名が教育っぽい響きだったのが買ってくれた理由なのかは定かではない。

プリントゴッコのハイメッシュセットというやつだったと思う。発売日から計算すると小学校5年生のときにこれを買ってもらったようだ。

ネットから写真を拾ってきたが、箱の写真だけで懐かしくて泣きそうになった。

記憶の中ではプリントゴッコを使って何度も送ったような気がするが、中学2年あたりから反抗期になり、年賀状をサボっていたような気もする。消耗品を買い足したような記憶も無いので、プリントゴッコを使って年賀状を作ったのはせいぜい2回か3回なのだろうと思う。

ワタシは別に絵が得意というわけでは無いのだが、プリントゴッコで年賀状を作るのはとにかく楽しかった。作業の非日常感と冬休みを目前にした高揚感が沿う感じさせていたのかも知れない。

お年玉くじ付き年賀はがきの楽しさは異常

ワタシの祖父はワタシが小学校4年生の時に亡くなった。色々な商売をしていた人で年賀状が大量に届く人だった。

祖父に届いた大量の年賀状のお年玉抽選に当たりが無いかを探すのが楽しかった。届いた年賀状が大量にあっても、当たるのは下位の2種類くらいだったと記憶している。ああいうクジの当たりにくさを身をもって実感したからか、宝くじは未だに買ったことが無い。それでも番号を新聞と見比べて当たりを探す作業は楽しかった。

ワタシが数字を理解するようになったのは6歳以降だと思う。そして祖父が亡くなってからは届く年賀状の数も少なくなった。年賀状のクジの当たり探しを毎年大量にやっていた思い出があるが、実際は小学校の1年生から3年生の間の3回位だったのだろう。

「様」ではなく「殿」を使いたかった

もちろん年賀状のやり取り自体も楽しいものだった。ワタシが小学生の頃はもちろんスマホなどはなかった。年始の挨拶といえば年賀状だった。絵が上手い友達も居れば下手な友達も居た。上手な筆書きで干支の漢字を書いてくる友達も居た。

小学校4年の頃だと思う。ワタシは友達の宛名を書くのに「君」をつけるのは子供っぽすぎる。「様」を使うのはなんだか女々しい感じがする。というわけで、親から「殿」という漢字を聞き出して全員に「殿」で送ったのだが、今思えばアホすぎるも可愛らしい思い出だ。

すべて処分してしまったが、もし今も残っていたら楽しかっただろうな。いや、2・3分見たら満足して仕舞い込んでしまうだろう。友達からもらった年賀状は記憶の中で美化して思い出すのが良いのかも知れない。

細々と年賀状を送る

思い出の中の年賀状はすごく楽しくてワクワクするものだ。しかし現実社会の年賀状はワタシをイライラさせる要素が強すぎる。

喪中欠礼システムも、避けるべき言葉も、出すべき相手か出すべからざる相手かを見極めるのも面倒くさすぎる。

年賀状という文化は終わりを迎えつつあると思う。思い出の中の年賀状は出すのも貰うのも本当に楽しかった。LINEでの挨拶が年賀状の代わりになるとは思っていない。

ワタシとしては今後も年末が近くなったら、子供の頃の楽しかった思い出に浸りながら年賀状を作成する。出す相手が無くなるまでは細々と年賀状を送ろうと思う。