素麺にまつわる悲しい記憶
強くショックを受けたために、記憶の奥底にしまい込んでいた話がある。
素麺にまつわる悲しい記憶だ。
実家がゴミ屋敷
モノが多すぎる
私の実家はゴミ屋敷だ。私は物心ついた時から「僕の家はゴミ屋敷だな」という意識があった。
私は成長するに従って幾度となく実家の掃除に取り掛かった。しかし事態は好転しなかった。
モノが多すぎるのだ。いくらゴミをきれいに並べてもゴミはゴミである。ゴミを捨てて物の数を減らさなければ改善は見込めない。
私の両親は仲が良いとは言えなかったが「モノを捨てられない」「モノを溜め込む」という点では一致していた。
とにかくモノを捨てずに溜め込んでいくのである。家の中のモノは捨てども捨てども減るどころか増えていくのだ。
ゴミ屋敷に住む劣等感
家がゴミ屋敷と言うのは劣等感の原因となる。自分の住む家がゴミ屋敷であるという点において私は強い劣等感を持っていた。
「僕の家は汚すぎて友達を呼べない」「友達の家はいつ遊びに行っても片付いていてうらやましい」という感情を持ちながら子供時代をゴミ屋敷で過ごした。
ゴミ屋敷に従兄弟が来た
従兄弟もゴミ屋敷に来たことが無い
私の母方に従兄弟がいる。母親の弟家族である。母親の弟は優しい叔父さんで、その息子である従兄弟とはよく遊んだ記憶がある。
ただし私の実家に従兄弟が来たことはなかった。私の実家は従兄弟といえども呼べるような状態じゃなかったからである。
母方の従兄弟に会うのは必ずその従兄弟の家、つまり母親の里と決まっていた。
一生懸命片付けた
そういうゴミ屋敷に従兄弟の家族が来た。何故来たのか理由は覚えていないが叔父さん夫婦と従兄弟の家族3人で私の住むゴミ屋敷に来たのだ。
当時の私にとって自分の家に客が来るというのは大事件である。私は従兄弟家族を家に迎えるにあたって、一生懸命家の中を片付けた。
片づけと言っても「雑然としたゴミ」を「整然と並んだゴミ」に変える行為に過ぎなかったと思うが、子供なりに一生懸命に片付けを行った。
ゴミ屋敷に引く夫婦
ゴミ屋敷に来た叔父さんの夫婦は、家に足を踏み入れると明らかに言葉少なになってしまっていた。
叔父さんのいつもの優しい雰囲気はどこかに吹き飛んでいた。叔父さん夫婦からは早く帰りたいという感情が伝わってきた。ゴミ屋敷の汚さに引いているという状態である。
一方従兄弟はまだ5歳である。無邪気にゴミの中で遊んでいた。私も従兄弟に会えた嬉しさで自分の家がゴミ屋敷であることは一時的に忘れて一緒に楽しく遊んでいた。
母親の弟の夫婦はゴミの中で遊ぶ我が子を心配そうに見ていた。
ゴミ屋敷での食事
汚いテーブルで素麺を囲む
母親が昼食に素麺を出してきた。4畳半の狭い台所に置かれた汚いテーブルで素麺を囲んだ。
従兄弟の両親はゴミの中での食事に明らかにげんなりしていたが、私は気にしない素振りをしながら従兄弟たちと素麺をすすった。
事件が起こったのはその食事中である。
薬味ふりかけが最先端
その頃私は素麺のめんつゆに「薬味のふりかけ」を入れるのが好きだった。
瓶入りで、海苔やゴマやワサビ等が配合されたふりかけだ。めんつゆに振りかけるだけで、海苔の風味やワサビの大人な辛味が加わるという便利なふりかけだ。
革命的な商品
わたしは「めんつゆに振りかけると、素麺が無茶苦茶美味しくなる!なんて革命的な商品なんだ!」という感情を「薬味ふりかけ」に持っていた。
「全国の小学生の中でもこの薬味ふりかけの美味しさに気づいているのは僕だけかもしれない」という選民意識に近いものを薬味ふりかけをきっかけにして抱いていた。
とにかく私の中で薬味ふりかけは時代の最先端のイカした商品だった。
従兄弟に食べさせたい
従兄弟と素麺を食べるにあたって、従兄弟にその「薬味ふりかけ」を食べてもらいたいという気持ちがあった。
「田舎育ちの従兄弟は『薬味ふりかけ』などという便利で美味しい代物は知らないに違いない。」「自分の家はゴミ屋敷だけど、流行の最先端の『薬味ふりかけ』を食べさせて、従兄弟にいい格好をしたい」という気持ちになっていた。
家になかった
ところがその日「薬味ふりかけ」は家になかった。単純に切らしていたのである。
どうしても従兄弟の前で良い格好をしたかった私は「薬味ふりかけ」の代わりのモノを食卓で見つけた。
ただのふりかけ
ただの瓶入りのふりかけである。
私はその「ただのふりかけ」を迷わず自分のめんつゆにふりかけた。同じようなビジュアルのビンに入っているし、多分中身も似たようなものだろうという考えからだ。
ふりかけ行為でいい格好したかった
なにより従兄弟の前で「めんつゆに最先端のふりかけを投入する行為」をやって良い格好をしたかったのである。
「僕は時代の最先端だからめんつゆにふりかけを入れちゃうんだよ、すごいでしょ!」といったところである。
狙い通り従兄弟がふりかけに注目した。「何を入れているの?」と聞いてきた。
私は有頂天で「これを入れたらそうめんが美味しくなるんだよ!入れてあげるね!」といって従兄弟のめんつゆにもふりかけをかけた。
叔父に怒鳴られる
その時、私は腕を掴まれて怒鳴られた。
「何変なモノ入れとんじゃーい!!!」腕をつかんできたのは叔父つまり従兄弟の父親である。
「ウチの子に変なモノ食べさせるんじゃねー!!!」私は再び怒鳴られた。
いまから思えば叔父の怒りも尤もだろう。ただでさえゴミ屋敷で食事なんてしたくないのに、その食事に分けの分からないモノを振りかけられたのでは堪ったものではない。
めんつゆ変えて
そのまま叔父は従兄弟のめんつゆを取り上げると私の母親に向かって「姉ちゃん!めんつゆ変えて!」とふりかけ入のめんつゆを差し出して私を睨んでいた。私は半泣きになってしまった。
いつもは優しい叔父さんに怒鳴られたショックは大きかった。
その後の素麺の味や、どうやって従兄弟家族が帰っていったのかも覚えていない。
いまでも「薬味ふりかけ」は大好きだ。
以上が素麺を食べるたびに思い出す悲しい記憶である。
なお、実家のゴミ屋敷には今でも両親と弟(中年独身)が三人で楽しく暮らしている。
ゴミは昔より増えている模様だ。