上品な食べ物が嫌いだ コンビニのチョコレートが小さすぎる 食べ始めるとスイッチが入る 

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食べ物を少しだけ食べるという行為が嫌いだ。嫌いというか不可能だ。食べ物を少しでも口に入れるとスイッチが入ってしまい、食べるという行為が止まらなくなる。満腹まで食べ続けてしまう。少量の食べ物を口にするくらいなら、何も食べないほうが良いと思っている。世の中には少量で上品な食べ物があふれている。そういう少量な食べ物が嫌いだ。ワタシの嫌いな上品少量の食べ物を挙げてみたい。

コンビニのガルボ的チョコレート菓子が嫌

ガルボ 42g

コンビニに並ぶ「ガルボ」のようなチョコレートが苦手だ。嫌いだ。食べたことはある。美味しい。それは知っている。嫌いな理由はそのサイズだ。ガルボは小さい。小さすぎるのだ。

上記のガルボ(42g)など、まずパッケージが小さい。片手にすっぽりと収まるサイズだ。こんなに小さくても価格は150円位する。封を開けたら中身も少ない。中から出てくるチョコレートの粒は小指の先程の大きさしかない。これが8個くらいしか入っていない。上品すぎる。

ガルボの味は認める。表面のチョコレート被膜を破ると、中に気泡を孕んだチョコレートの塊感を感じる。更に中心部からとろけたようなチョコレートが出てくる。食感も味も大変素晴らしい。ただ量が少なすぎる。

仮にワタシがガルボを一袋食べていて、妻が「美味しそうだね、一つ頂戴」などと言ってきたら恐らく離婚する。ガルボみたいに8個くらいしか入っていないものを「一つ頂戴」というのは暴挙だ。

仮に100個入りのガルボがあって、そのうちの一つを頂戴と言うのならまあ許せる。100個のうちの1個なら1%だ。8個のうちの1個は12.5%である。12.5%を持っていくというのは横暴すぎる。

春闘で連合が5%の昇給要求をやっとの思いで出して、妥結は5%も行かないのに、12.5%はそれを軽く上回ってしまっている。労使は妥結まで必死の思いで戦っているというのに、12.5%を気軽に「一つ頂戴」はひどすぎる。

そんなことが許されるなら春闘なんてやる必要は無い。「今年も給料12.5%上げるね!」「やったー!じゃあ一緒に飲みに行こ!」「いいねー!鳥貴族行こ!」こうなってしまう。

もちろん春闘がそんな事になるわけが無い。12.5%というのはそれだけ大きな数字なのである。12.5%のガルボをくれというのは夫婦といえども許されざる行為なのだ。配偶者がガルボを食べているときには間違っても「1つ頂戴」などと言わないように気をつけて欲しい。

とにかくワタシが言いたいのは、ガルボ的なコンビニのチョコレートが小さすぎて苦手だと言うことだ。仮にガルボを買うなら5つは買いたい。ガルボだけを気分が悪くなるまで食べたい。

でもそんな事をすればワタシの健康を害する恐れがある。でもガルボを1袋だけ食べて終わりというのは耐えられない。そんな中途半端なことに耐えるくらいならワタシは最初からガルボを食べないという選択をしたい。というわけでワタシはガルボ的な小さなチョコレートが苦手なのだ。

ナルシシズムと食欲の葛藤

食べ物を口に入れるとスイッチが入るという表現を目にしてワタシが肥満中年だと想像している方がいると思う。ところがワタシは肥満体型ではない。ガリガリでもないがどうにか体型を保っているアラフィフのおっさんだ。

食べるというのは人間にとって喜びだ。食べる喜びは人間が進化の過程で身についたものだ。食に執着した個体の方が生存する確率が高い。狩猟採集生活は明日食べ物が得られるという保証は無い。何日も食べ物を口に出来ない可能性もある。食べられる時に多く食べられる方が生存に有利なのは容易に想像が付く。

我々はそんな狩猟採集民の末裔だ。沢山食べるのは素晴らしいという本能が組み込まれている。食べるのが本能的に楽しすぎるのだ。美味しいものを食べ続けたいという気持ちが常にワタシの頭の何処かにある。油っこくて味の濃いものや甘いものを食べ続けたい。

古代ローマの貴族は食べ続けるという欲望を実行に移していた。腹一杯に美味いものを食べて、お腹が一杯になったら口の奥を刺激して嘔吐し、腹の中のものを全て吐き出して空にしてまた食べ始めるということをしていた。羨ましい

一方でワタシは「太りたくない」という気持ちもある。肥満体型のハンプティーダンプティーみたいなおっさんを見かけると「こうなってはだめだ」という気持ちを強く持つ。

以前体重が90㎏になったことがある。その頃は顔はパンパンで腹もでっぷりしていた。そこから15㎏のダイエットに成功した経験を持つ。ダイエットで体重が落ちると顔が小さくなるのが分かる。腹回りもどんどんしぼんで細いズボンを履けるようになる。ジャケットなどを着ても太っていた頃に比べるとかなりシュッとする。鏡を見るのが楽しくなる。

恥ずかしい話を白状するとワタシは自分の事を「同年代の平均よりは少しカッコいい」と思っている。ワタシは恐らくナルシストだ。ダイエットに成功したからナルシストになったのか、ナルシストだからダイエットを頑張ったのか因果関係は定かでは無いが、ワタシはナルシストなのだ。ナルシストなので自分が太って醜くなるのは許せない。

ナルシストになっても食欲は衰えない。ナルシストでも食べ過ぎれば太る。食欲は太る原因だ。本能たる食欲はワタシ自身を生存させようと必死なのだろうが、そんなおせっかいな食欲が憎い。食欲と面談したい。食欲と別れ話をしたい。

「食欲サン、いつも大変お世話になっております。あなたのお陰で狩猟採集民時代のワタシの祖先は生き延びることが出来ました。生き延びたワタシの祖先は脈々と子を残し続け今のワタシがいます。ワタシが今アホ面でYou Tubeを見られるのもあなたのおかげです。食欲さんは命の恩人です。あなたに感謝を忘れたことはありません。ワタシはあなたに産んでもらったようなものです。ところで大変言いにくいのですが、もう来ないでほしいんです。あなたのせいでワタシは食べることに必死なんです。必死で食べなくても現代社会では死ぬことは無くなっています。食欲が全く無くてもカロリーメイトでも食べますから。大きなお世話なんですよ。もうあなたの時代じゃないんです。さようなら。」という具合だ。

ところがこれだけ冷たく言い放っても食欲は全然気にしない。別れ話どころか、ワタシに大事件が起こっても何食わぬ顔でワタシにすり寄ってくる。ごく稀に食欲が居なくなることもある。コロナで39℃の熱が出たときには食欲が「ちょっと旅行に行ってきます」といって出ていってしまった。食欲が旅行中の一週間で体重が3㎏減った。コロナダイエットである。怪我の功名だなと思っていたのもつかの間、熱が下がった途端に「只今戻りました!」と食欲が元気に帰ってきて、ワタシは暴食をしてしまい、結果体重がコロナ前より2㎏増えてしまった。そんな大病のような時以外ではワタシの食欲が居なくなることはほぼ無い。

例えば仕事で大失敗をするとかは食欲に全然関係ない。会社に大損害を与えてもワタシの食欲は平気の平左衛門である。食欲全然気にしない。交通事故を起こすとか、自慰を妻に自慰を見つかってしまうなどの大事件が起こっても食欲は平然とワタシに寄り添っている。

ワタシの心の片隅であぐらをかいている食欲は普段はおとなしい。大人しい時には良いのだが「美味しいものを少しだけ食べる」という行為をしてしまうと、俄然食欲はやる気を出してしまう。食欲が半纏を羽織って纏を手に「食い物はどこでぃ!」と火事場の火消しの如く身体を駆け巡る。

こうなってしまうとワタシの手には負えない。食欲は腕っぷしが強い。一方ワタシはナルシストだが喧嘩はからっきしだ。食欲に喧嘩で全く勝てる気がしない。一度暴れだした食欲を大人しくさせるには、食欲が納得するまでその美味しいものを食べ続けるしか無い。

そうするとワタシの身体がわがままボディになっていく。ハンプティーダンプティーに近づいていく。恐ろしい話である。

もしもその美味しいものが本当に少しだけしか無く、そのまま何も食べられないという状況になると、食欲は怒りだす。食欲の怒りが私自身に向いてしまう。食欲がイライラし始めるのだ。ナルシストのワタシはその細腕で食欲の相手をしなければならない。腕力の差がありすぎて食欲をやっつけることは出来ない。ナルシストのワタシは食欲にされるがままを耐えるしか無い。ボコボコに殴られ、罵詈雑言を浴びせられ、全身を恥辱されてもナルシストのワタシはただ耐えるしか無い

少しだけの美味しいものはそんな乱暴な食欲を呼び起こしてしまうスイッチなのだ。乱暴な食欲が暴れだしたら、ワタシは太るか、ボロボロにされて疲れ果てるかのどちらかしか選べない。だからワタシは少しだけの美味しいものが嫌いなのだ。

配られるお土産が嫌

旅行に行くのは個人の自由だ。誰も咎めはしない。旅行に行って土産を買って帰るか否かはもっと自由だ。ワタシとしては土産など要求することは無いし、自分が旅行に行ったときにもまず買わない。ところが世の中には律儀に旅行に行ったら義務であるかのように職場の皆さんへのお土産を買ってくる人がいる。

なぜわざわざ職場の人にお土産を買ってくるのだろう。旅行に行くことに対して後ろめたい気持ちでもあるんじゃないかと思う。会社で横領したカネで旅行に行っているのなら、後ろめたいだろうから土産を買ってくるというのは分かる。

もしくは無断欠勤して旅行に行っていたと言うならその場合も然りだ。しかし普通は横領して高跳びした人は返ってくることは無いし、無断欠席で旅行に行くような人はわざわざ休み明けに「旅行に行ってきました!」などと報告することはない。

というか普通の人は自分の給金を貯めたカネで旅行に行くし、旅行に行くなら公休日や有給休暇を使う。だから旅行に行く人が後ろめたさを感じるはずはない。旅行に行った人が職場の人にお土産を買ってくるというのは不思議な現象である。

旅行に行った人がかならずお土産を職場に買って帰る謎はひとまず脇に置いておいて、持ち込まれたお土産に問題がある。職場に持ち込まれたお土産は、職場の人間に配布される。まず持ち込まれるお土産は大抵の場合、全員に行き渡るように数が沢山入っているモノが選ばれている。それが職場の人間全員に平等に配られる。あれが嫌いだ。

画像引用元:諸国饅頭記@manjuki78

例えば土産としてこのような饅頭が各人に一つだけ配布される。これが嫌だ。こんな饅頭を一つだけ食べたら食欲のスイッチが入ってしまうのは確実だ。甘いものは特にスイッチが入りやすい。写真のサイズの饅頭なら8個くらいは欲しい。口の中が甘くて甘くて気持ちが悪くなるまで饅頭を頬張りたい。しかし職場で配られる土産は絶対に一人に一つだけだ。SMAPの歌じゃ無いんだから、どうせ配るんならもっと欲しい。というか配るのが一つだけなら土産なんて買ってきてほしくない。ワタシはスイッチが入ってしまうのが嫌なので配布された土産は他の人にあげる事にしている。

上品なざるそばが嫌

ざるそばが嫌だ。蕎麦が嫌いな訳では無い。蕎麦は大好きだ。ざるそばも大好きだ。ザルに盛られた蕎麦を箸でつかみ、冷たいそばつゆに突っ込む。そばつゆには予めネギとわさびを投入している。江戸っ子は蕎麦を食べるときにも粋を意識するそうで、蕎麦をそばつゆに少しだけしか付けないらしい。

ワタシは蕎麦を食べる時に粋など気にしない。蕎麦をそばつゆの中でこねくり回して、蕎麦にたっぷりのそばつゆをまとわりつかせてから一気にすする。口の中で蕎麦の香ばしさとネギの青臭さとわさびの辛味とそばつゆの甘味がマリアージュする。3回位咀嚼したら飲み込む。蕎麦とそばつゆが絡み合いながら喉を降りていく。飲み込みながら右手の箸は次の蕎麦を掴みにかかっている。幸せを感じる一連の動作である。ざるそばは素晴らしい。ざるそばが大好きだ。ざるそばは大好きなのだが、ざるそばが嫌なのだ。嘘つきのパラドックスのようになってしまった。

店の「ざるそば(並盛り)一人前」が嫌いなのだ。

画像引用元:船場ランチWEB

上品な店のざるそばは量が極端に少ない。少ない上に値段は高い。一人前1,000円位する。天ざるなどを頼もうなら2,500円とかする。馬鹿げている。高いのに量が少ない。上の写真のざるそばなら、おそらく箸で2つかみしたら終わってしまう。なぜ上品なざるそばはこんなにも量がすくないのか。

諸説あるが、ざるそばの量が少ないのは江戸っ子の見栄っ張りのせいらしい。江戸っ子には少しだけ食べるのが粋というわけの分からない文化がある。

江戸っ子が蕎麦屋の暖簾をくぐる。「おうっ!」とオットセイのような声を発する。「オヤジ!ざるそばもらおうか!ちゃっちゃと頼むぜぇ!」と元気に注文する。ざるそばが運ばれる。江戸っ子が箸でつかんだ蕎麦の先を少しだけそばつゆに付けてすする。

量が少ないので、3すすりほどで蕎麦を完食する。「お足置いとくぜぇ!ごっそさん!」と江戸っ子が料金を卓上に置いて店を後にする。店にいた他の客が「粋な人だねぇ」と感心する。江戸っ子の粋とはそういう世界観である。アホである。

落語家の古今亭志ん朝が生前語っていた。古今亭志ん朝は食いしん坊だったらしく、その事で父親の古今亭志ん生から度々注意を受けていたそうだ。江戸っ子は蕎麦や寿司で腹を膨らますんじゃないと。江戸っ子は蕎麦や寿司を腹いっぱい食べてはならないのだ。粋では無いという理由らしい。

「蕎麦や寿司はご飯じゃないんだ、足りないのなら蕎麦や寿司を食べに行く前にご飯を食べなさい」とも言われたそうだ。意味が分からない。

そういう江戸っ子の訳の分からない価値観のせいでざるそばの量は少ない。こういうざるそばが嫌いだ。

蕎麦はむちゃくちゃうまい。ざるそばも最高だ。そんな最高なざるそばを少しだけ食べて何が楽しいのか。生殺しというやつだ。食べるなら腹いっぱい食べたい。だから上品なざるそばが嫌いだ。

高級ステーキ

高級ステーキなど以ての外だ。絶対に食べに行きたくない。怖いもの見たさでホテルグランビア岡山の中にあるレストランのウェブページを見てみた。

「備彩」という和牛ステーキのコースがあった。

ホテルグランビア岡山 備彩

価格は一人前15,000円だ。コースなのでステーキ以外のものも出てくるのだが、肝心のステーキが小さい。「黒毛和牛のフィレ肉(100g) 又は 黒毛和牛ロース肉(120g)の鉄板焼」と来た。100グラムと来たものだ。ちゃんちゃらおかしい。

100グラムといえば、トマトなら半分の量だ。一口で食べられる。水で言うと100ccしかない。備彩は鉄板焼屋のようなのでおそらくこの100グラムを切って提供してくる。消しゴムくらいのちっさい肉を箸でチマチマ食べることになる。小さい肉を当てにしてご飯を掻き込むことになる。暴れる食欲を満たすべく、ご飯でどうにかごまかすという形になる。本当は美味い肉だけをたっぷり食べたいのに。口の中を汁の滴る柔らかい肉で満たしたいのに。しかし肉は100gしか無いのだ。口の中を肉で満たそうとすれば一口で終わってしまう。あとに残るのは漬物定食味噌汁付きである。15,000円を払って漬物定食は食べたくないので、消しゴムくらいの肉を大事に大事に食べる。肉の味がご飯でかき消されてしまう。ああ嫌だ。

お肉のグラムアップができるらしい。でも費用が掛かる。安くない費用が掛かる。20gで1,800円だ。

20グラムってなんなの。誤差の範囲内じゃないだろうか。「今日は100グラムじゃちょっと足りないから120グラムにしよう」なんて人が居るのだろうか?自分の腹の減り具合をそんな20グラム単位で把握できるなんて特殊能力の類である。

それで1,800円である。ノーマル状態の100グラムの肉を2倍の200グラムにしようとするならプラス9,000円掛かる事になる。これはもう食欲をタテにしての恐喝なんじゃないかと思ってしまう。ホテルグランビア岡山の備彩には申し訳ないが、ワタシはここに一生行くことは無いと思う。ワタシのような貧乏な食いしん坊は足を踏み入れてはならない場所なんだろう。

ヤクルトとか明治R-1

ヤクルトの内容量って知っていますか?65mlですぞ。もう勘弁して欲しい。小さすぎる。ワタシはヤクルトが大好きだ。大好きだから余計に小ささに腹が立つ。

ワタシは子供の頃からヤクルトを飲む時の流儀を決めている。ヤクルトの上部のアルミの蓋に爪楊枝で小さな穴を一つだけ空ける。空気穴は空けない。小さな呑み口を一つだけ空けるのだ。そこに口を付けて徐々に徐々に陰圧をかける。するとヤクルトが口の中にちょびりちょびりと入ってくる。少しずつ入ってきたヤクルトをじっくりと味わう。そうやって一本の小さなヤクルトをできるだけ長時間楽しめるような飲み方を実践している。みみっちすぎて絶対に他人には見せられない

中学生だったか、高校生だったか、時期は忘れたのだが、コンビニでピルクルを見つけたときには感動した。

ピルクル

一口飲んでワタシは確信した「神はワタシに大容量のヤクルトを使わした!これ(ピルクル)はヤクルトだ!」ワタシは馬鹿舌なのだ。ワタシはピルクルの大容量に感動した。その頃のピルクルは500mlだったような気がするのだが、とにかく感動したワタシはピルクルを一気飲みした。ゲップが出た。再びワタシは感動した。ゲップの香りがヤクルトなのだ。ヤクルトの香りのゲップができる日が来るとは思っていなかった。

ただ、ピルクルの表示を見て驚いた。一日あたりの接種目安量の記載がある。

一日65mlを目安とか書いてある。一日65mlって!65mlはヤクルトなんですよ!ボクはピルクルに効果とか求めていないんですよ!とにかくヤクルト的なものが沢山飲めたら幸せなんですよ!こういう事は書かないで欲しい。せっかく大容量ヤクルトを見つけて喜んでいるのに65mlとか興ざめすることを書かないで欲しい。水をさされた気分だ。

明治R-1も御免被りたい。内容量112mlである。ヤクルトよりは大きいが、このサイズなら4本位は軽く飲める。ところが軽く飲むのは価格が許さない。一本162円也(アマゾン)。うちの近所の謎の自販機は500mlペットの謎のジュースが100円で売られているのに、内容量112mlの明治R1は162円!

明治R-1は意味がわからない。内容量の112mlは2口で飲めるサイズだ。それなのにスクリューキャップがついている。

スクリューキャップの本来の目的は何度かに分けて飲む際に一度封をするということだ。こんな小さいR-1を何度かに分けて飲む人はいない。キャップなど必要ない。このキャップは格好をつけるためのキャップだ。キャップを付けるためにコストも掛かろうに、明治にはそんな事を気にする様子は無い。

R-1はラインナップもすごい。

ワタシはR-1を購入したことが一度も無いのだが、これだけラインナップが充実しているということは、世の中の少なくない人が日々R-1を購入しているということだろう。

ワタシは今後もR-1を購入することはない。ワタシはもうR-1を諦めている。R-1はブルジョアの飲み物ですわ。ブルジョアな方は明治R-1を毎日飲んで健康を保ちつつ、お手元の資本をフル活用して我々労働者をこき使って下さい。ワタシは謎の自販機の謎ジュースを飲みながら労働に励む所存です。

何なんですかね、この価格と容量。要するに付加価値なんだろうと思う。健康に無茶苦茶良さそうだという付加価値。スクリューキャップもなんか格好良さそうに見えるという付加価値。味は普通の飲むヨーグルトと全く変わらない。特別な効果があるかどうかを確かめようは無い。自分が二人居れば比較実験できるだろうが、ワタシは一人しかいない。双子でもない。

それでも店に行くとR-1とかHG-21とかそれに類する商品が大量に売られている。私一人がR-1を諦めても、普通に毎日R-1を飲み続けている人も居るんだろう。恐れ入りました。