若者に使われるとムカつく言葉

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いつの間にかアラフィフになってしまった。かつてはワタシも若者だったのだが、現代の若者の言葉が気に入らない。なにか被害を受けたというわけでは無いのだが、とにかく気に入らない。いくつかを挙げる。

それな

賛意の言葉である。賛成を表明してくれるのは嬉しい事なのだが、言葉に手抜きをしすぎでは無いだろうか。

短すぎて乱暴すぎる

「それな」という言葉を丁寧に言えば「 その件については全面的に同意見でございます。丁度その事を言おうと思っていたところです。話題として取り上げていただき誠にありがとうございます。」となるはずだ。それだけの内容をひと言「それな」で伝えるというのは乱暴すぎやしないだろうか。

東京すぎる

それに加えて「それな」からは故郷を軽んじて東京を崇める姿勢が透けて見える。娘がYou Tubeを見ている。ジャニーズタレントが仲間内でおしゃべりをして「それな」を連発するシーンがながれている。またSnowManの「Snow Man’s Life」という曲の中に(それな)という合いの手が何度も使用されているのを耳にした。

ジャニー喜多川問題でガタガタしているといえ、ジャニーズタレントといえば若者の象徴であり東京の象徴である。ジャニタレが渋谷のスクランブル交差点に立つだけで絵になる。5万いいねがつく。

現代の若者たちはそんなジャニタレが使う「それな」に都会っぽさや東京っぽさというものを感じて居るのではないだろうか。正直なところ私はビンビンに感じている。それなビンビン物語である。

若者たちは「それな」を使うことで、テレビの向こうの芸能人や東京と距離が縮まると思っているのだ。だが待ってほしい。君たちはネイティブの岡山っ子なのだ。手放しで東京を崇めるべきではない。岡山の良さを引き継いでいってほしい。

岡山弁で言え

岡山には岡山弁という方言が有るじゃないか。「それな」を岡山弁にするなら「よれよな」とか「それじゃわ」になる。「それな」を使わずとも同じニュアンスが岡山弁で問題なく表現できる。

親の憤慨を知らずに我が家の子供達も「それな」を連発する。お前ら親が貧乏なせいでめったに旅行にも行けず、ほとんど岡山から出たことが無いだろう。それなのに親の嫌いな「それな」を連発するからバチが当たったのだ。ざまあみろ。

我が家の子供達は「それな」を使うことで、岡山人丸出しで貧しい父親の権威を貶めようとする意図が有るんじゃないかと勘ぐってしまう。ワタシはそのうち家から追い出されるんじゃないだろうか。子供たちが「それな」を使うたびに父親のワタシは疑心暗鬼になってしまう。

それじゃわと言え

日本は東京だけではない。23区では米も牛も鶏も育たない。生まれ育った地方を軽んじて安易に東京をありがたがるべきではない。「それな」などという東京っぽさを感じさせる言葉を安易に使うべきではない。地方に受け継がれた方言を大切にするべきだ。岡山っ子なら岡山に脈々と受け継がれた岡山弁的表現「それじゃわ」を使うべきではないだろうか。

皆さんはどうお考えだろうか。この意見に対して同意してくれるのは大変結構な事だが、「それな」と同意するのはやめて欲しい。

ガチ

「ガチ」の意味は分かる。「マジ」と同義語だろう。「マジ」という言葉は80年代に一斉を風靡した。「本気」とか「真剣」と書いて「マジ」と読ませる。当時はかっこいいなぁと本気で思った。マジで思った。今でも「真剣」という漢字を見ると「マジ」と読んでしまう。

マジはワタシが流行らせた

ワタシは「マジ」という言葉が自分の世代の言葉という感じがして大好きなのだ。「マジ」を流行らせたインフルエンサーの1人が自分だと自負している。それほど「マジ」を使ってきた。さっき数えてみたら生まれて今まで1億3千万回「マジ」を使っていた。

「マジ」は元々江戸時代の芸人の楽屋言葉だったそうだ。「マジ」は昔から使われてはいたが80年代に入って我々が流行させたという事だ。

「マジ」は80年代っ子の我々世代が産み出した輝かしい言葉なのだ。現代の子供達にも「マジ」を大切にしてもらいたい。「ガチ」は「マジ」と同じ意味なのだからわざわざ「ガチ」を使わないで欲しい。ワタシの世代が流行らせて、今でも使用可能な「マジ」があるのだから「マジ」を今後も優先的に使って欲しい。ワタシにはそういう気持ちがある。

ガチはマジで置き換えろ

中学2年生の娘は会話の端々に「ガチ」を挟む。「ガチで?」「ガチムカつく」「ガチか」という調子である。ちょっと待って欲しい。これらは全て「マジ」に置き換え可能だ。「マジで?」「マジムカつく」「マジか」こういう具合だ。こちらの方がしっくりくるではないか。

普段なかなかワタシと口を聞いてくれない娘に「なぜ君はマジではなくガチを使うのか?マジとガチに違いはあるのか?お父さんに教えてくれ給へ」と勇気を出して質問したところ、珍しく返事をしてくれた。以下のような内容だった。

「ガチはマジよりガチな感じがするからガチの方が強い」

娘が口を聞いてくれたのは嬉しかったが、回答の意味が全く分からなかった。形容詞や副詞としての強調度がマジよりガチの方が強いという事らしい。娘世代はマジよりガチの方が強いと考えているのだ。

負けて悔しい

「いや、ガチよりマジのほうが強いだろ」と反論したかったが、そんなことを言ってまた娘に無視されるのはつらいので思いとどまった。なにより言葉のもつニュアンスの強さはその使用者が決めるものであって外部から指摘されるものではないだろう。

80年代世代の言葉「マジ」が令和の若者の言葉「ガチ」に負けた形となって悔しい。マジで悔しい、いやガチで悔しい。

やってる

「やってる」である。ワタシはこの言葉が好きだ。「うわ、こいつ、やってるわ」の様に使う。「やってる」という言葉は面白い。罠を仕掛けているとか、演技をしているとか、しらばくれているとか、お前が犯人だろとか広範な意味を有する。

やってるの使用例

使用する場面を挙げてみよう。5人のうち1人が皿洗いをしなくてはならない。皿洗いの担当者をくじ引きで決める。一番にくじを引いた人がハズレを引いてしまった。ハズレを引いた人がくじを作成した人に向かって「お前ぜったいやってるわ」と使う。彼はくじ作成者に「くじに不正を仕込んで自分にハズレを引かせた、犯人はお前だろう」ということを訴えている。くじを作成した人は「やってないって!やってない」と答える。作成した人は「やってない」という言葉に「仕込んでいないし、嵌めようともしていない」という意味を込めている。面白い。

他にも使用場面を挙げてみる。サーフィンの経験が全くないという男が初めてサーフィンに挑戦するという場面。初めてのはずなのにその男は器用に波を乗りこなす。それを見ていた友人が「こいつやってるわ」と指摘する。

この「やってるわ」は「サーフィンの経験がある」という意味がある。だがそれだけではない。「サーフィンの経験があるにも関わらず、ええ格好をしようとして初体験を装っている、つまり芝居をしている」という意味も含まれている。「やってる」の短い言葉の中に強烈なツッコミの意味が込められているのだ。面白い。

やってるへのジェラシー

「やってる」は面白い。ワタシはこの言葉「やってる」が好きなのだ。しかしワタシは「やってる」を使えない立場に有る。若者がこの言葉を使用するのを耳にするとムカつく。ジェラシーなのだ。

「やってる」は若者言葉過ぎてワタシのようなアラフィフのオッサンには使えない。ワタシがまだティーンエージャーだった頃に前述の「マジ」「ムカつく」という言葉が流行った。その頃これらの言葉は流行の最前線に立つ完全な若者言葉だった。若者の間だけで流通する、若者だけに使用が許された言葉だったのだ。

その頃ワタシの父親が突然「マジ」や「ムカつく」を使い始めた。若者ぶりたかったのか、反抗期だったワタシとの距離を縮めたかったのか理由は今でも知らないが、父親が「マジ」や「ムカつく」を連発し始めた。その時のワタシの嫌悪感は相当なものだった。自分の神聖な領域を侵されたような感覚があった。例えるのが難しいのだが、帰宅したら赤の他人が自分の布団で寝ていた、気に入っている服を他人が着ていた、そういう嫌悪感を覚えた。ピカピカだった「マジ」「ムカつく」が汚されてしまったのだ。

ワタシはその頃の父親の年齢に達してしまった。今のワタシが「やってる」を使うと若者は確実にワタシに対してそういう嫌悪感を抱くことだろう。ワタシにはそれを気にせずに「やってる」を使うほどの勇気がない。「やってる」を使用して嫌悪感を抱かれるくらいなら、何も喋らずに存在を意識されないほうが良い。

そういう理由でワタシは「やってる」を使えないのだ。しかしワタシは「やってる」を愛している。なので若者が「やってる」を使っていると激しい嫉妬心を燃やしてしまう。心が乱されるのだ。

好きだから使えない

ワタシが若者ぶって「やってる」を若者の前で使うとどうなるか。実はこれは「やってる」でツッコむ絶好の場面なのだ。「オッサンが若者ぶろうと若者言葉を無理して使っている」という意味で「やってる」場面なのだ。

しかし悲しいことに若者がワタシに対して「あのオッサンやってるわ」と突っ込んでくれることは決して無い。気に入ったTシャツでも赤の他人に勝手に袖を通されたら廃棄する。若者たちはオッサンに汚された「やってる」を手放す。やがて「やってる」が廃れてしまう。ワタシは「やってる」を愛しているからこそ「やってる」から距離を置くことにしたのだ。そんなワタシの前で「やってる」を使うのはやめて欲しい。悲しいじゃないか。

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