ヒロシと夜の訪問者

この記事は約2分で読めます。

その夜、ヒロシは珍しくすっと眠れた。
団地の天井のシミを数えるまでもなく、目を閉じたらすぐ夢の底。

ぬるい風が網戸を通って部屋に入る。
テレビはつけっぱなしだったが、もう音は頭に入っていなかった。

口を開けて寝るのがヒロシの癖だ。
仕方ない。鼻の通りが悪い。

その時だった。

ふわり、どこからともなく、
部屋に入ってきた黒っぽい影。

カサカサ。バサバサ。
一瞬、電気の光に反射するそのはね。

「蛾」だった。

蛾は、ヒロシの口元で迷い、
そのまま、ふわりと――

ヒロシの口の中に入った。

ヒロシは、目覚めた。
というより、本能が目を覚まさせた。

「んぐっ!!……バフッ!!」

遅かった。
舌の上に、柔らかい何かが潰れた感触。
渋みと粉っぽさと、得体の知れない味。

ヒロシ、むせ返る。

「オゴォォ!!オホォォッ!!」

キッチンへ飛び出し、口の中の異物やよだれを吐き出した。
30回以上口をすすいで、顔を洗って、それでも、感触が消えない。

「……マジか……」

口の端から、白っぽい鱗粉が垂れていた。

鏡に映る自分を見て、
ヒロシは思わず笑ってしまった。

「寝てるだけやのに、なんでこんな目ぇ合うんや」

その夜、ヒロシは電気をつけたまま寝た。
口にはマスクをして。

網戸の穴を、明日直そう。
ヒロシはそう思ったが、
きっと直さないまま、また夏が来る。

終わり